アメリカンポケットウォッチ INFORMATION

第8回 HAMPDEN WATCH CO.
ハンプデンウォッチカンパニー

 ハンプデンの時計にはしばしば “DUEBER WATCH Co.” と記されたムーヴメントが入っている。これはハンプデンの機械ではないんではないか、と疑う人がいてもおかしくはないが、れっきとしたハンプデンの時計である。
 1886年にハンプデンは、ケースメーカーであったJhon C.Dueberに買収され、この年から1888年まで“HAMPDEN-DUEBER Watch Co.” となる。この後、本拠地をオハイオのCantonに移し、1923年まで “HAMPDEN WATCH Co.”と“DUEBER WATCH Co.”となった。 このため一つのメーカーに二つの名称が存在することになったのである。
 前身となったメーカーは1864年にロングアイランドのプロビデンスに創設された “THE MOZALT WATCH Co.”である。イタリア移民であったDon Mozartは自身が開発した「クロノレバー」脱進機付きスリーホイールウォッチを完成した。そしてニューヨークの資本家の投資によって1866年に“NEW YORK WATCH Co.”となり、マサチューセッツの スプリングフィールドに移転した。ここで作られた時計は

  この後1875年に“NEW YORK MANUFACTURING Co.”に改称(1870年に火事に遭う), 1877年 に“HAMPDEN WATCH Co.”となり、その後は前述の通りである。
  ハンプデンは他のアメリカのメーカーに比べると地味な印象を与える。その理由として1930年にメーカー自体がなくなってしまったからということもあるだろう。しかしポケットウォッチのメーカーとしては1880年までに約200.000台を生産し(この数字はウォルサム、エルジンに次ぐ量)1889年には一日600台の生産を可能にしている。

 生産した機種も下記のハイグレードモデル

 1898年には23石の時計の製作を始めている。この時期に18サイズで23石のムーヴメントを生産したメーカーはごく一部で、ハンプデンがアメリカで最初の23石を製作したとしているアメリカンポケットウォッチ研究の権威もいる。また、1890年に最初の16サイズを生産した。
 このように、ハンプデンのメーカーとしての技術と経歴は他のメーカーと比べて遜色ないものである。前身のメーカーがすでに1860年代にあったことを考えれば、アメリカの時計産業の創成期からのメーカーであり、エルジン、イリノイに比肩する老舗といっていい。 1900年までの総生産量は約1.300.000台、ウォルサム、エルジンは別格として、この2社を除くと次にくるメーカーはハンプデンだった(100万台を越えているのは他イリノイだけである)。 そう考えるとハンプデンはアメリカの中小ウォッチメーカーの雄だったと言えるだろう。1930年までの総生産量は第三位の座をイリノイに明け渡すが、それでも約4.600.000台を生産しており、今世紀にはいっても年間150.000-200.000台を生産していた。
 しかし、1930年に姿を消してしまう。というのは、この年にAmtorg Trading Co.を通じてソ連に売却されたためである。

 それでは代表的なモデルを紹介しよう。

【18サイズ


【16サイズ】

 前にはウォルサム、エルジンという2大メーカーがあり、後ろにはイリノイ、ハミルトンというメーカーが追いかけていた。その中でハンプデンは1930年までコンスタントに生産を続けた。このことはハンプデンというメーカーがポケットウォッチの市場に確かな位置を築いていたことを物語っている。「去る者は日々に疎し」という言葉通り、ハンプデンは一度は歴史の波に消えてしまった。しかしながら、現在のアメリカンポケットウォッチファンにその名前が過日と変わらぬ価値と信頼を保っているのは宣伝のためでも希少性のためでもない。質の高さが価値を決定した時代に、市場の一角を占めたメーカーであることを、今日そのムーヴメントを目にした人びとを納得させるからである。

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